アメリカロサンゼルスで私は閑古鳥が泣いている衰退した店を買い取り繁盛店にして付加価値をつけて店ごと売却する事業を行っていました。
まだ投資家になっていない時です。
そこでのイベントの話をさせてください。
正直に言って、それは私の予想を遥かに超える光景でした。
オープン開店前から、店の前には150人を超える人々が列を作っていました。
一番早い人は、朝6時半から並び、9時からの販売に備えていました。
用意した1日400個のフカッチャというパンケーキなんですが米粉で作ったグルテンプリーでハニーやチーズを染み込ませてあるカップケーキを用意していました。
その商品は、飛ぶように売れていき、わずか1時間半で完売しました。
「お一人様3個まで」という制限があったにも関わらず、です。
それは、熱気と、興奮と、確かな「需要」が渦巻く、圧倒的な結果でした。
汗をかきながら、急いで注文の品を手渡ししているとき私は確かに手応えを感じていました。
しかし、その夜、
日本の知人から届いたメッセージを見て、私は冷たい水を浴びせられたような
気分になりました。
その人は、私の成功の報告を聞いて、こう言ったのです。
「まあ、ロサンゼルスの人は暇だからね。
特別なイベントだから並んだだけで、通常営業になったら来ないんじゃない?」
やれやれ、と思いました。
なぜ、日本人はこれほどまでに、物事を斜めから見るのが上手くなってしまったのでしょうか。
だから私は日本に居たくないのかもしれません笑
もちろん全ての日本人がそうではありません。特に投資クラブメンバー生には居ないと信じています。
しかし、今回に限らず、多くの日本人からこのようなメッセージをもらうのです。
目の前に「400ケースが完売した」という紛れもない事実がある。
それなのに、
彼らはその「ドーナツの実体(成功)」を見ようとせず、
真ん中の「穴(欠点やリスク)」ばかりを必死に探そうとします。
「暇だから並んだ」?
それは、あの日並んでくれた150人の人々に対する、ひどい侮辱です。
今の時代、世界中のどこにいたって、人は忙しい。
スマホがあれば、いくらでも時間を潰せるし、他に楽しいことは山ほどあります。
それでも彼らが列に並んだのは、彼らが「暇」だったからではなく、
そこに並ぶだけの「価値」を見出したからです。
なぜ、日本の知人はそんなことを言ったのか。
理由はシンプルです。
それは、きっと、
==================
「批評家の椅子」に座っている方が、安全で楽だからです。
==================
誰かが何かに挑戦し、成功したとき、それを素直に称賛するのは、
実は勇気が要ります。
なぜなら、相手の成功を認めることは、翻って
「何もしていない自分」を突きつけられることになるからです。
それは痛い。エゴが傷つきます。
だから、彼らは防衛本能として「ネガティブな解釈」という盾を使います。
「あれはただの運だ」
「ロサンゼルスの人が暇なだけだ」
「どうせ次は失敗する」
そうやって相手の足を引っ張り、成果を値引きすることで、
彼らは自分のプライドを守ろうとします。
「自分は成功していないのではない。
あいつが特別な状況(ズル)なだけだ」と。
そう思えば、挑戦していない自分を正当化できるからです。
これを、
「減点法の生き方」
と呼びます。
日本の教育や社会構造が、長い時間をかけて作り上げてしまった、
悲しい習性です。
何かプラスのことが起きても、
「でも、ここがダメだ」
「リスクがある」と、マイナスの要素を探して点数を引いていく。
そうやって全員で監視し合い、誰も頭一つ抜け出さないように、
お互いの足を掴んで水面下に引きずり込む。
でも、はっきりと言わせてください。
批評家の椅子に座って、腕を組んで高説を垂れている間、
あなたの人生には何一つ新しいものは生まれていません。
「通常営業だったら来ないのではないか?」
そんなことは、やってみなければ誰にもわかりません。
わかるのは、今、目の前で400ケースが売れたという事実と、
そこから得られたデータだけです。
未来の失敗を予言して悦に入るより、今日の成功の理由を分析する方が、
よほど建設的で知的です。
もし、あなたが誰かの成功を見て、胸の奥がチクリとしたり、
つい否定的な言葉を吐きたくなったりしたら、それはチャンスです。
その感情の正体は、「嫉妬」です。
そして嫉妬とは、
================
「自分もあそこに行きたいのに、行けていない」
================
という魂の叫びです。
どうでもいい相手に、人は嫉妬しません。
だから、
そのエネルギーを「足を引っ張る方向」に使わないでください。
「なぜ、あいつはうまくいったのか?」
という「好奇心」に変えてください。
批評家の椅子から降りて、プレイヤーとしてフィールドに立つこと。
ドーナツの穴を論じるのではなく、ドーナツそのものを味わうこと。
行列に並んだ人々の笑顔は、とても素敵でした。今でも忘れません。
彼らは、理屈ではなく、直感で「良いもの」を楽しんでいたからです。
どうせなら、斜に構えて冷笑する観客よりも、汗をかいて踊るダンサーでありたい。
私はそう思います。
さて、あなたはどちら側に立ちますか?
本日も
Enjoy !!
